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プリメーラ P11
120,000kmほど乗って、「乗り潰した」プリメーラ2代目(P11-Te-V)です。これで、よく遠出をしたものです。
CVT(Continuous Variable Transfer:無段変速装置)のメカニズムは大学時代から興味があり、
2リットル車世界初のCVT搭載車であるプリメーラには、発売当時から興味がありました。
また、当時の技術レベルで衝突安全性の高い車(当時のヨーロッパ自動車衝突テストで日本車トップ)ということから購入に踏み切りました。
ただ、高すぎる車体剛性(フロントとリアにストラットタワーバーが純正で入っている)と飛ばすための装備
(大型のリヤスポイラー)、そして、リッター100馬力近い強大なエンジンパワーは、
速度を全く感じさせない危険な自動車でした。
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大間崎〜本州最北端〜
知人の結婚式に行った帰りに寄った場所です。友人の結婚式は、青森市中心部で行われた
のですが、前の日の晩に休むことの出来ない大事な会議があり、夜中に自宅を出発して、
眠さと戦いながら一晩で700km以上を走破(上記のプリメーラP11を使って)し、
お昼前から行われる披露宴に何とか間に合いました。
奇しくも、青森は太宰治生誕の地、まるで「走れメロス」でしたね(笑)。
運転しているときの心境も、あの物語通りでしたよ!
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秋田〜佐竹資料館〜
秋田の佐竹資料館で驚かされた展示品です。ガラス越しの開いている歴代奉行のページに、偶然にも
私と同姓の人が奉行として記載されていました。学芸員の方が適当に開いておいたのでしょうが、偶然
というのは恐ろしいものです。いや、統計的に考えると、別のページにも「滑川」の町奉行がたくさん
載っているのでしょうか。
400年前の江戸初期に、(関ヶ原で負けた)佐竹一族に伴なって茨城北部から秋田に行った祖先の
片割れ(私の直系の祖先は北茨城に居残った)がいるということは聞いていました。
転封されると、一族郎党すべてが殿様に付いていくのが一般的なのですが、なぜか源氏の正統な血を
引く佐竹が、兄弟だったら兄か弟のどちらかを茨城(常陸)に残って畑を耕すようにさせたそうです。
でも、源氏の歴史(兄弟どうしで戦ってでも血筋の生き残りを図った)から考えるとわからないでもな
いですよね(北茨城の滑川家は源氏ではなく藤原氏北家系統ですが、「1504年に滑川通繁が佐竹義舜を助け、山入氏義を滅ぼし、常陸太田城を奪還せしめる(佐竹家文書にも「滑川六郎重範」に関する記述)」とあり、この頃にはすでに佐竹氏の家臣として活躍していたようです)。
そういうことから、今でも、茨城と秋田には、共通する姓が多いということらしいです。
実際、北茨城の本家の伯父のところでは、「四百年前のあのときには、食えない奴ら(=次男以下?)
が秋田へ行った。苦労したことだろう。」という話が伝わっています。
水戸光圀(黄門様)も、その佐竹の居残り組を警戒して領内をしきりに歩き回るという行動をしてい
たようです(テレビでは、なぜか全国を歩き回っていますが、事実はそんなところです)。
やはり、先祖の言い伝えで、光圀が米俵(苦労して収穫したお米)の上に座ったので、先祖の一人が
光圀のお尻を引っぱたいたという話までありますから(笑)。
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