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滑川一族の佐竹義舜への支援
この記録は古文書ではないのですが、次の古文書に関係するために引用しました。これは、歴史学者による調査論文(志田諄一,「金砂大祭礼と金砂山縁起」,茨城キリスト教大学紀要,人文科学35,14-1, 2001)で、明応六年(1497年)の「右京大夫義舜公当山御籠城之事」に関した記載がなされています。
一般的に戦国時代は「応仁の乱」(1467年~)より始まったとされますが、関東では、それよりも早くから戦国時代に入っており、足利氏と上杉氏の対立から広がりました。その影響は、佐竹氏にも及びました。
一族内の多くが、佐竹と同じ源氏の系統である足利ではない上杉からの入婿(関東管領山内上杉憲定の次男・竜保丸:佐竹義人)に反発しました(応永14年:1407年)。これに反発し山入氏が台頭して、佐竹本家を圧倒しつつありました。
滑川一族は、当初、山入氏を支援していました。
しかし、自分たちの利益よりも常陸国全体の融和・統一を重視したいという佐竹義舜へ、次第に与するようになったとされています。
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